50年ぶりに故郷の埼玉県小鹿野町に戻った田島康久さん(70歳)は、2001年6月から趣味の養蜂を始めた。「きっかけは隣町の養蜂家がクマに巣箱を襲われたという新聞記事((詳しくは情報コーナー「クマが出た!」参照)を読んだことです」と答えたが、お話しを聞いていくうちに養蜂に対する深い思い入れがあることが明らかになった。
田島さんのお宅は、両神山を源流として荒川に合流する赤平川沿いにある。赤平川は「ようばけ」「ひょうたんばけ」「はさみばけ」と呼ばれる高さ70mもある崖があることで知られた美しい川である。

古くからここを本拠にする田島家は、戦国時代にはこの要害の地に館を築いて、甲州の武田軍と戦を交えたという。巣箱を置いた裏の畑からは、「はさみばけ」が目前に望める。川岸には蜜源植物のニセアカシアの木も多い。

養蜂を始めてわずか3ヵ月というのに、田島さんの巣箱は、なぜかどれも使い込んだ年代物であった。「これは私が子供の頃、父が使っていた巣箱です。故郷に帰ってきて、蔵を調べていた時に見つけました。もう60年も経っています」という驚くべき答えが返ってきた。
「巣箱を見ていて父が採ったハチミツの味を思い出し、私もやってみようかなと思っていたところ、クマの新聞記事で近くに養蜂家がいることを知りました。思わず電話してミツバチを分けてもらうことにしたのです」この話しを聞いて、なるほどきっかけは新聞記事だったのかと得心した。

養蜂家の浅見孝二さんから6月に2群を購入した田島さんは、早くも人工分蜂を成功させていて、3群を飼育している。どうやって勉強したのですかと訊ねると、『養蜂の實際』という古い本を取り出してきた。奥付を見ると昭和8年発行、1円80銭と書いてある。これもお父さんが残したもので、昔も今もミツバチの生態は変わらないだろうからと、この本を読んで飼育法を勉強しているのだという。
とはいえ、養蜂技術も随分と進歩しているだろうからと、最新の飼育法を学ぶのにも余念がない。久しぶりに訪れた養蜂家の浅見さんのアドバイスに熱心に耳を傾けていた。
柿のハチミツを採りたいという田島さんは50本もの苗木を植えていて、来春の採蜜を楽しみにしている。

作業場には父親が残した巣箱だけでなく、新たに自分で作った真新しい巣箱も準備されていた。この新しい巣箱も長い時を超えて子供や孫に受け継がれていくことだろう。